『朝顔』
手紙 1枚目
拝啓、もう如何することも出来ない位に遠くにお住まいの方へ
はじめまして。突然、知らない住所から手紙が来て驚いたことでしょう。
もしかしたら、この手紙は読まれずに捨てられているかもしれません。
そのほうが良かったのかもしれません。
私の村からとても離れた適当な住所を探して、手紙を書きます。
もしも、この手紙が読まれているのなら、田舎娘のつまらない身の上話を聞き流していただけないでしょうか。
どうか私を許してください。
手紙 2枚目
私のクラスには、あの子がいました。
無口な人でした。不思議な人でした。綺麗な人でした。
私のような雑草には、話しかけることすらできないくらいに完璧な人でした。
風の噂で、あの子は裏山へ行き朝顔の手入れをしている、と聞きました
私は学校の花壇を手入れする係に立候補したり、家で三色菫だの薔薇だの秋桜だの、もちろん朝顔も育てている程の花好きだったので、とても興味が湧きました。
その後、なんとかあの子とお話ができて、次の日から一緒に裏山の朝顔に水をやる約束をしました。
校舎裏の山道を歩き、崩れそうな木造の小屋に着きました。
小屋は蔦で覆われていて、朝顔の花が1つ2つ咲いていました。
朝顔は丁寧に手入れされて、とても綺麗でした。
私たちはそれから毎日、水やりに行きました。
手紙 3枚目
雨あがりの日でした。台風の後でした。
いつものようにあの子と水やりに行きました。
地面がぬかるんでいました。
いつものように小屋に着くと、朝顔の花はありませんでした。
台風で花が落ちてしまっていたのです。
私は小屋の周りで朝顔の状態確認を、あの子は小屋の中に侵食した朝顔の状態を確認しました。
しばらく経った後、何かが崩れるような音がしました。
私が小屋の中に入ると、あの子の頭は小屋の中にあった箪笥の下敷きになっていました。
血がどくどく流れて、蔦から溢れた木漏れ日が反射して照照としていて。
箪笥からはみ出した指が、まだぴくぴく動いていたのを今でも覚えています。
私は恐ろしくなってその場から逃げ出しました。
田舎ですから、あの子がいなくなったことはすぐに村中に広まりました。
村ぐるみで捜索をしましたが、行方不明という形になりました。
その時期に熊の目撃情報が頻繁に出ていたことから、村の人たちは半ば諦めていました。
私は、今日まで誰にも話さず黙っていたのです。
手紙 4枚目
1年が経ち、私は中学3年生になりました。
あの子の命日でした。
私はあの子がどうなってしまったか気になって、小屋に行きました。
よく、殺人犯は現場に戻ってくるなんて言いますけど、そういうことだったのでしょうか。
私は殺していないけど、私が見捨ててしまったのには変わりありませんから。
小屋の周りに朝顔は咲いていませんでした。
誰も手入れをする人がいなかったので仕方のないことですが、雑草が生い茂っていました。
私は恐る恐る小屋の扉を開け、中に入りました。
そこにあったのは、朝露を纏い木漏れ日にキラキラと輝く、小屋の床を埋め尽くす、満開の朝顔。
あの子の髪のようにしなやか蔦
あの子の肌のように滑らかな葉
あの子の唇のように赤い花
あの子は朝顔になってしまいました。
手紙 5枚目
3日後に、私の村はダムの底に沈んでしまいます。
もうあの子には会うことはできません。
水は巡り巡って人々の血肉になる。
あの子が溶けた水が、顔も知らない誰かに使われるなんて
そんなの、そんなの、あんまりだわ。
一人のおとめとして、私はあの子を守りたい。
あの子は、せめて百合のままでいさせて欲しい。あの子は二番煎じみたいな意味しか持たない花じゃないの。
あの子は、朝顔なんかじゃないわ。
あの子は、朝顔でも百合でも死体でもなく、ただ一人の少女として死んで欲しかった。
せめて誰かの記憶の中では形を保って欲しかっただけなの。
どうか、警察には通報しないでください。
それでは、さようなら。
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